家康公検定2022 お勉強にっき

家康公検定2022に向けて、のんびりとお勉強しています。

25夜目、朱印船貿易

 

「家康公検定2022」の副読本で

お勉強しております。

のんびりと。

 

25夜目は、

 

「家康公の外交政策〜全方位、善隣友好〜」

4.アジアとの交易

(1)倭寇禁制

(2)朱印船貿易

です。

 

 

14世紀頃、倭寇(わこう)とよばれる呼ばれる海賊が、

九州北部を拠点とし、

中国大陸や朝鮮半島の沿岸を襲撃していました。

 

16世紀になると、倭寇

明の海禁政策を背景に

アジア海域で、

中国やポルトガル商人と密貿易を活発に行いました。

 

この頃になると、日本人より中国人が

倭寇の大半を占めるようになっていました。

 

 

1588年(天正16年:家康47歳)に、

豊臣秀吉は、海賊停止令を出しました。

 

海賊衆(水軍、海の豪族)に対し、

海賊行為を行わない旨の誓紙を出させ、

武装解除を行いました。

 

海賊停止令は、

刀狩り令と同じタイミングで出され

豊臣体制の支配力強化を狙ったものでした。

 

 

以後、海賊衆と関係の深かった

倭寇は衰退します。

 

徳川家康倭寇禁制の政策を維持しました。

 

 

また、江戸幕府は、

倭寇などの海賊船や密貿易船と区別するため、

 

海外と交易する商船に

渡航を許可する 朱印状 を出し、

交易の管理を行いました。

 

実際に朱印状を書いていたのは

金地院崇伝らの禅僧でした。

 

発行された朱印状の詳細は

『異国御朱印帳』

『異国渡海朱印帳

で知ることができます。

 

徳川家康は、

呂宋(ルソン:フィリピン)

安南国(アンナン:ベトナム

交趾国(コーチ:ベトナム

柬埔寨国(カンボジア

太泥国(バタニ:タイ)

暹羅国(シャム:タイ)

などの国に国書を送り、

 

日本が平定されたことを告げ、

朱印状を有した船以外、

通商を認めないように要請し、

交易を促しました。

 

副読本より

 

1604年(慶長9年:家康63歳)

朱印船貿易の開始から

1635年(寛永12年:家光32歳)

朱印船貿易の禁止まで、

 

356艘の朱印船が19の地域に

渡航したことが記録されています。

 

 

朱印船の船主は、

京都や堺、長崎、平戸などの大商人や

加藤清正熊本藩)などの西国の大名など

 

輸出用商品の仕入れや

乗組員の雇用などの

多額の資金を用意できる人々でした。

 

また、日本在留の中国商人や西洋人も

朱印状を得て、貿易を行っていました。

 

 

日本からは

銀、銅、硫黄、樟脳や陶器、漆器などを

輸出し、

 

海外からは

生糸、絹織物、鹿革、蘇木(漢方薬となるマメ科の樹木)などを

輸入していました。

 

 

朱印船貿易に成功すると、

多額の資金を用意したことに見合う

大きな利益を上げることができました。

 

 

次回は、朱印船貿易によって出来た日本人町と英雄についてです。

 

26夜目、日本人町と山田長政 へ